激震・九州ツアー~chap.30「また会う日まで」
3/11(金)~4/22(金)までの九州ツアーを振り返る日記の最終話。第29話はこちら。
対応する当日投稿はここらへん。
・4/17(日)「寒い夜に」
・4/18(月)「温泉と水源と」
・4/19(火)「5日前に描いていた夢」
・4/20(水)「黄色いガードレール」
・4/21(木)「雨の日には」
・4/22(金)「ただいま、和歌山」
(※一番最後にchap.1から今回までのINDEX付けてます。途中読み飛ばした方は、最初から読んでみてくださいね!)
4/17(日)の昼前にD-Boy健軍店へ到着すると、店内は支援物資で溢れ、スタッフたちが慌ただしく動いていた。
「早速ですが、これを届けてきてください」
そう言われると、ラポ吉に必要な物資を積み込み(友人宅で荷物を置いて空きスペースを作ってきた)、避難所の1つの学校へと向かう。途中、熊本市内にかかる小さな橋では、通行止めになっている場所も出てきており、営業を再開しているガソリンスタンド前には、給油を待つ車たちで行列が出来ていた。
その後、何度か車で走ったが、このときはまだ物資が届く量とタイミングがまばらで、どちらかというと拠点での荷物整理のほうがメイン。人手も足りていなく、指揮系統もまだどこかぎこちなかった。
しかしその日の夕方くらいから、関西や関東方面からもたくさんの支援が届き始める。
そして、東日本大震災などでも災害ボランティアを経験してきた心強いメンバーが、続々と熊本入りしているようだ。
この日の夜、トラック3台に荷物を積んで、何人かのスタッフが道路が分断された阿蘇を目指す。それを見送りながら、僕自身はこの日、ひさしぶりに道の駅で車中泊することに決めた。
4/18(月)、道の駅・不知火で目覚める。
正直なことを言うと、少し疲れていた。考えてみれば、和歌山を出発してから、もうかれこれ1か月以上、ほとんどが車移動で車中泊も多数。その中で起こった2度の大きな地震。初めて経験する状況と、非日常の風景、そして何より、断続的に起こる余震……。最初の地震が発生してからまだ3日ほどしか経っていないが、そのわずかな間で目まぐるしく状況が変わり、もうすでに数十日が経っているかのような感じがした。
ネットでは、さまざまな情報が飛び交っている。その中にはすでに「賞味期限切れ」の情報が混ざっていたり、「デマ」と思えるようなものまで混ざっていた。そしてどちらかといえば、いまこの場にいない遠方の人たちのほうが、そういう情報に惑わされて、正確な情報を把握しきれていない感じがする。地面の揺れていない安全な場所にいて、ゆっくり時間も確保できるのだから、もっと冷静になって正確な情報を流して欲しいと思う。
ふと見ると、不知火温泉のオープン時刻だった。せっかくなので、ゆっくりと疲れを癒すことにする。
ここに限らず、週明けの月曜日である今日、営業を再開するお店が増えてきており、少なくとも熊本市周辺は、モノに関してはだいぶ復旧が進んできているように感じられた。
温泉に入った後、轟水源にも寄ってみる。地震の影響もなく、水はキレイだった。
先ほどのネットの話ではないが、事実確認をするには自分の足を動かして、自分の目で見るのがいちばん確実だ。それがうまく伝えられればいいのだが……ひとまず、ブログにはアップしておこう>4/18(月)投稿「温泉と水源と」。
このあとD-Boy健軍店へと向かい、今日も福島⇔熊本 0円キャンプスクールのお手伝いをさせてもらうことにする。昨日からわずか1日しか経っていなかったのだが、驚くほど体制が強化されていた。そしてSNSの波及効果か、ボランティアの数も物資の数も、非常にたくさん集まっていた。
ボランティアに来ていたのは、熊本大学の学生さんたちが多いようだった。その中には、家が全壊した人たちもいるようだが、何かしていたほうが氣持ちが落ち着くからと、ボランティアに来ているようだ。僕自身も似たようなものだから、その氣持ちはよく分かった。
今回の地震の特徴は、ずっと揺れている、ということだ。だから、家に戻らずに、車やテントで寝ることを選ぶ人が多い。逆に言えば、車は動かせる人も多いということ。そういう人たちは、少し足を延ばせば必要なモノはすぐに手に入るようになるだろう。
問題は孤立したところにある避難所だったり、ネットなどで情報を得られない高齢者たちだろうか。しかしそれも、各地のボランティア団体や行政などが、少しずつ情報を交換しあい、状況を把握してきているようだ。
水とガス、場所によっては電氣が通じていないのが問題だが、カセットガスコンロやそれに代わるものと人々の協力があれば、炊き出しも可能。モノが完全に無いわけではない。
この日、僕が実際に見て来たのは、あくまで熊本市周辺の状況でしかないが、少なくとも僕個人がここにいて出来ることはもうそこまで必要ではないように感じられた。もともとの予定では、4/21(木)に益城病院さんでもう一度出店させていただいた後、和歌山に変える予定だったが、益城病院さんがそれどころではなくなっているため、それまでいる必要もなくなった。
この状況下で熊本を離れることに、抵抗がないわけではなかったが、明日帰ろう、と決心した。
……ということで。
翌日4/19(火)、和歌山に向けて出発。そのときの思いは、当日の投稿「5日前に描いていた夢」ですでに書いた通りで、そこまでに至る経緯が上記の通りです。
ちなみに帰り道の様子を簡単に書いておくと、
4/19(火)……定休日で押せていなかった福岡の道の駅・むなかたでスタンプ押印~~山口県下関市に渡って川棚温泉元湯・ぴーすふる青竜泉でお風呂~~道の駅・きくがわで車中泊。
4/20(水)……まっすぐ広島県まで向かい、海神丸船長・YANAさん家で爆睡!(笑)
4/21(木)……YANAさんと雨の日デート(ラーメン一久~~吉備川上ふれあい漫画美術館~~養老温泉本館~~府中焼き・十々)した後、この日も泊めてもらうことに。2日間ありがとう~☆
4/22(金)……20:30頃、和歌山に帰宅。
となりまして、その後は4/24(日)の第7回 澤善☆幸せ応援コンサート 【@滋賀県】出店からの、5月予定通りにイベント出店してきました(平日はほぼブログ更新に費やす。笑)。
そして明日から6月。スケジュールはまだアップしていませんが、ひとまず……、
氣持ちは阿蘇に置いてきた!?
画像をホームページから勝手にキャプってしまいましたが、6/4(土)の「阿蘇復耕祭 ~奇跡の1000人田植え~」、こちらに当日ボランティアとして参加する予定なので、再び熊本に向かいます。ってか、明日出発します!(笑)
その後の動きはまだちょっと未定ですが……ま、地震前は何とかしてきたんだし、今回も何とかなるでしょう(笑)。
と、いうことで。九州のみなさーん、また会いに行くのでよろしくお願いしまーす☆
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「激震・九州ツアー」INDEX
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・chap.01「晴れの国おかやま」
・chap.02「ブルー×ブルー=倉敷」
・chap.03「広島ツーリング」
・chap.04「その名は、海神丸」
・chap.05「福山&尾道散策」
・chap.06「平和への祈り」
・chap.07「九州上陸」
・chap.08「阿蘇ってアジア」
・chap.09「雨降りの数日」
・chap.10「山ノ神まつり」
・chap.11「菊池~荒尾~玉名あたり」
・chap.12「トトロ&ナイアガラ」
・chap.13「ブラふくちゃん~前編」
・chap.14「ブラふくちゃん~後編」
・chap.15「熊本南部とラムネの湯」
・chap.16「大分県と福岡県」
・chap.17「飛翔乱舞」
・chap.18「日常と非日常」
・chap.19「九州のへそらへん」
・chap.20「九州最東端の地」
・chap.21「歌舞さんと巡礼旅~前編」
・chap.22「歌舞さんと巡礼旅~中編」
・chap.23「歌舞さんと巡礼旅~後編」
・chap.24「ようやくの出店日」
・chap.25「天草ドライブ」
・chap.26「光射す風景」
・chap.27「いつもと変わらない日々、そして……」
・chap.28「揺れる益城」
・chap.29「混迷の中で」
・chap.30「また会う日まで」