激震・九州ツアー~chap.29「混迷の中で」
3/11(金)~4/22(金)までの九州ツアーを振り返る日記・第29話。第28話はこちら。
対応する当日投稿はここらへん。
・4/16(土)「2度目の生存報告」
・4/16(土)「コーヒーはまだまだ……」
(※以下、前回に引き続きいつもと違う文体で。こういうのも書けるんやで?、っていうこと)
4/16(土)01:25頃、マグニチュード7.3、このときは深度6強だと発表された地震が発生。
のちに、益城町や西原村では最大深度7であったと判明することになる、「本震」であった……。
夜中だったからだろうか? 今回の揺れは、前回以上に長く感じられた。そして今回出来たことといえば、布団を頭からかぶったことくらいだけだ。
揺れが収まったあと、ひとまず服を着替え、いつでも外に出られるようにする。停電していたので、前回益城病院さんのところで非常用バッグに入っていた、手回し充電式のソーラーラジオを手に取る。手の平サイズの大きさで、携帯にとても便利だ。
そうしているうちに、2階から友人家族が下りてきた。下の子がだいぶ怖がっているようだが、全員無事のようで一安心。
「外に出る?」
「いや、家の中にいたほうがいいだろう」
今回の揺れでも、大きな家具が倒れるようなこともなく、家も大丈夫のようだ。友人家族にはまだ小さい男の子と女の子がいる。小さい子どもを連れて避難場所に出て行くよりは、家の中にいたほうが精神的にも安心だろう。
電氣がついた。TVをつけて、地震情報を確認する。友人宅は熊本市の東区。震度6強のようだ。このときなぜか、益城町の震度は表示されていなかった。まさか揺れが無かったことはないだろうとは思うが、病院のほうも心配だ。
とはいえ、まだ時間は深夜。そして一昨日の地震からの行動で、みんなだいぶ疲れていた。
小さい揺れが断続的に続いている中、不安がなかったといえば嘘になるが、しかしそれでも睡魔には勝てず、そのままの格好で布団に入ると、すぐに眠りに落ちていった。
4/16(土)朝。トントントンと軽い足音でお兄ちゃんのほうが下りてきて、テレビのスイッチを入れる。土曜の朝といえば、見たい番組があるのだろう。この子はこの状況下でもいつもどおり元氣で、それが逆にありがたい。
「あれ? どこもやってない」
当然のように、どのチャンネルも地震のニュースばかりだった。
「ねぇお父さん、ビデオ見ていい?」
「今日はだめ。ニュース見せて」
「えーーー!」
子どもにとっては退屈以外の何物でもないだろうが、少しの間我慢してもらう。そしてテレビから流れてくるニュースはどれも、予想もしていなかったような大きな被害状況を伝えていた。
「このあと病院行くけど、いっしょに来る?」
「もちろん」
自分に出来ることは少ないだろうが、友人といっしょに益城病院へ行くことにする。子どもたちはお母さんといっしょにお留守番だ。ちなみにお母さんのほうも別の病院のスタッフであるため、夕方からはそれぞれの役割が逆になる。つまり今日は、遅くても夕方までには帰ってくる必要があるということだ。
益城病院に着くと、もうすでに対策本部が動き出していた。
「なんか、亀裂大きくなってない?」
「氣のせい……じゃないよなぁ?」
これでもかというくらいその上を車で走ってきたアスファルトだが、こんなにも脆いものだったという現実に愕然とする。四角く亀裂が走っていたり、周りが陥没して排水管が丸見えになっていたりと、もうすでに元の形がどうだったのか思い出せないくらいになっていた。
「うわ~、やっぱり崩れてる~! せっかく整理したのに~~(泣)」
病院の自分の部屋を見に行った友人の嘆きがむなしく響く。昨日の午後に立て直した本棚はまたしても崩れ、14日の地震直後のように、本や資料が床に散乱していた。
おそらく今回の地震で、避難者の精神をすり減らしている大きな要因の1つがこれだと思う。体に感じる揺れが断続的に続く中、どれだけ片付けても、また大きな揺れが来るんじゃないだろうかという不安。その不安が、このわずか2日間に起こった大きな地震により、完全に頭の中に刷り込まれてしまったかのようだ。
そしてもう1つは、水。
熊本県は豊富な地下水で有名な「水の国」。その自慢の水が、出ない。
そのため、自衛隊をはじめとした災害派遣チームが、各地の避難所や病院などで、必死の給水活動を行っていた。
飲料用の水はもちろん、トイレの水が流せないことがこれほどストレスになるとは思わなかった。普段、当たり前に出来ていることが、実は当たり前ではないのだということ。人は、実際に自分の身で体験する段階になってはじめて、そういうことが本当の意味で理解できるのかもしれない。そういった意味では、今回ここに居てそれが理解できたことを、本当に有りがたいと思った。
「そろそろ帰ろうか」
不幸中の幸いと言っていいものか、4/14の「前震」のおかげで、益城病院にいた患者さんたちはすでに移動が完了している。他の施設に移動した患者さんへのサポートや、月曜からやってくる外来患者さんへの対応は必要になってくるだろうが、現時点でこの場でできることは少ないため、友人宅に帰ることにする。
家に帰ってテレビをつけると、営業を再開しているスーパーやコンビニの情報が、テロップで流れていた。水とガスは止まったままだが、熊本市内の物流の回復は早いなと感心。さっそく、近くのコンビニを周ってみるものの……、
「ほとんど無いなぁ……」
単純に入ってきている商品の数が少ないのか、はたまた考えることはみな同じなのか、どこに行ってもほとんどの商品(とくに食料品)は売り切れてあり、あるのはお菓子類やコーヒー、アルコール類のみ。先にも書いたトイレの水が流せないということも要因の1つであろうが、トイレが近くなるようなものはお呼びではないということだ。
しかし、冷蔵庫が稼働していないため、陳列もされずに無造作にカゴに積まれたコーヒーの缶を見ていると、いちコーヒー屋としては、少し、悲しい氣持ちになってしまう。
コーヒー屋としての出番は、まだまだ遠そうだった。
4/17(日)朝、近くのクオリティコントロールセンターさんが井戸水を無料で提供してくださっているとの情報を得たので、水を汲みにいく。脇には「洗浄済空容器」まで用意してくださってあり、そのご厚意が本当に有りがたい。そして水を汲みにきた人たちは、長い待ち行列ができているにも関わらず、みんな静かに順番を待っていた。
「今日も病院行こうと思うんだけど……」
「ごめん! 別のところで動くことにした」
この日は、仕事の間だけでも子どもの相手をしていて、という友人の頼みだったが……本当にすまん!
このときすでに、facebookやtwitterなどのSNSでは、いち早く災害ボランティアとして行動を起こしている人たちの投稿が目に飛び込んできていた。友人もその奥さんも医者であり、彼らが動きやすくサポートをすることでよりたくさんの人の役に立つとも考えたが、それらの投稿を見て、もう少し直接的な動きもしてみたいと思ってしまったのだ。
そして災害ボランティアとして行動を起こしている人たちの中に、今回の九州ツアーで知り合った人が中心となって動いていると知り、何かお手伝いできることはないかと直接メッセージを送ってみると、
「来てください。とにかく運んでくれる人が必要です。助かります!」
と返信があり、福島⇔熊本 0円キャンプスクール(※)の拠点、D-Boy健軍店へと急きょ向かうことになった。
第30話へ続きます。
(※出会いのきっかけについては、chap.11「菊池~荒尾~玉名あたり」をご参照ください)