現在、旧ブログから移行作業中。過去の記事の体裁やリンクがおかしなところがあるかと思いますが、しばらくご容赦くださいませ。

激震・九州ツアー~chap.28「揺れる益城」

3/11(金)~4/22(金)までの九州ツアーを振り返る日記・第28話。第27話はこちら

対応する当日投稿はここらへん。

・4/14(木)「来週の日曜日
・4/14(木)「生きてますよ~!
・4/14(木)「今は益城病院にいます
・4/15(金)「おはようございます
・4/15(金)「ラポ吉も元氣です

(※以下、いつもと文体違いますけど氣にしないでください。写真少ないので、怪しい小説サイト風に……汗)

分厚い雲に覆われた白い太陽を見ながら、益城病院さんへ。

先週に引き続いての院内出店を無事に終えたあと、益城病院さんところでゆっくりさせてもらいながら「来週の日曜日」の予定を書いたブログをアップしたのが20:48頃。

そしてその数十分後……。

4/14(木)21:26頃、マグニチュード6.5、益城町で最大深度7を記録した地震が発生。

おそらく誰もが予想していなかったであろう大きな揺れの中、ただひたすら、揺れが収まるのを待った。

地震が起きたら何かの下に身を隠せだとか、すぐ動けるようにクツを履けだとか、普段から言われていることはあるが、大きな揺れが来ている最中(しかも突然の)、そんな単純なことすら出来ようはずもなく、「早く収まってくれー!」と心の中で祈るのが精いっぱいだろう。しかし正直、そんなことすら考える余裕もなく、ただひたすら、揺れが収まるのを待った。

数分後……いや、実際の時間では数秒程度だったのかもしれない。

揺れが収まったとき、ただただ放心していた。この揺れの中、大きな家具が倒れてきたり、家屋そのものが倒壊してしまっては、ひとたまりも無かっただろう。ただ幸いにも、僕がいた部屋そのものは無事で、被害はと言えば棚にあったモノが落ちたりした程度。天井も壁も、ドアも窓も、ひとまずはその機能を果たしていた。

そのとき、脇に置いてあったスマートフォンの着信ランプが点灯していることに氣づく。だんだんと、思考が戻ってくる。今やるべきことは……スマートフォンを手に取り、身近にあったテーブルの下に潜り込んだ。

「地震あったみたいだけど、大丈夫!?」

友人たちからの着信メッセージを見ながら、冷静さを取り戻していく。いや、考えて見れば、もともと冷静だったのかもしれない。普段から感情の起伏が激しいほうではないと自覚しているが、こんな事態になったときでも、そうそう慌てふためかない自分に氣づき、心の中で苦笑する。そして1つ1つのメッセージに順番に返信していった。

いや、待てよ。むしろ自分のほうから無事を報告したほうが早いか。そう思い、慣れた操作でブログに投稿する。

生きてますよ~!

地震発生からおよそ17分後、21:43頃に投稿完了。よし、大丈夫だ。そろそろ動こう。

いま居るのは、益城病院。友人たちからのメッセージから、今回の地震の震源地が益城だと知った。九州広しとはいえ、今日このときにピンポイントで益城にいる。これはもう、帰ってからネタにするしかなさそうだなと、この時はまだ、けっこう呑気なことを考えていた。

しかし、その時にいた建物から何とか外に出たとき、地震の大きさに徐々に氣づきはじめる。

ひびが入り、崩れてしまっている建物の壁。
辺り一面、割れて散乱しているガラスの破片。
一部が隆起し、断層が見え隠れしているアスファルト。

ついこの日の夕方まで、院内でコーヒーを淹れさせていただいていた建物が、地震の影響で停電している暗闇の中、初めて見るような物体として、暗然と目の前にそびえたっていた。

そのとき、一条の光が差し込む。懐中電灯を手に、誰かがこちらに歩いてくるようだ。

「あぁ、無事で!」

病院の様子を見に来た関係者の方のようだ。こちらもここでようやくほっとする。自分以外の誰かがそこに存在する、それがこんなにも心強いものだと改めて感じた。

その後、他の病院スタッフの方々とも合流し、益城病院の医師である友人O氏とも、お互いの無事を確認。そして、今病院にいる患者さんの安全を確保するのが最優先だと、理事長と院長先生を筆頭に行動を開始するが、さすがは精神科の先生たちといったところだろうか。こんな非常事態でも冷静かつ迅速に行動し、いま一番安全だと思われる場所に対策本部を設置、非常電源を作動させ、ひとまず安全に夜を過ごせそうな場所に、全患者さんを速やかに移動させていった。

建物の構造にも疎く、そして精神科の患者さんへの応対にも不慣れな自分が、他のスタッフさんたちのお手伝いを出来ていたとは到底思えなかったが、それでも、患者さんのうち何人かが、僕と話をして、少し安堵したような顔を見せてくれたときには、明日の朝まで、患者さんたちといっしょにいることに決めた。

深夜2時か3時ごろ、翌朝の5時ごろにまた集合することを決定し、病院のスタッフさんたちは一度解散。

そして夜が明けたとはまだ言い難い4/15(金)の朝5時ごろ、再び対策本部に集合、行動を再開。この日は、機能を停止してしまった益城病院の代わりに、患者さんを受け入れてくれる施設を確保する活動をメインに、慌ただしく過ぎて行く。

明るくなってくると、病院の被害の大きさにあらためて氣づく。そしてこの地震の被害は、ほぼ益城町に集中し、NHKニュースでは益城病院の映像が何度となく流れたようだ。

まさしくピンポイントでこの場所にいることに運命的なモノを感じなくもないが、専門外の僕はますます手伝えることも少なく、出来ることと言えば、モノを運んだり片付けたりと単純作業くらい。こうなってくると、だいぶ居心地が悪く感じてくるのだが……そんな中、ようやくラポ吉の様子を見に行くことができた。サイドブレーキをかけていなかったせいで少し移動していたが、目立った外傷もなく無事。コイツに何かあったらどうしようかと思っていたので、このときは本当にほっとした。よかった、まだ頑張れる。

夕方ごろにはすべての患者さんの移動を完了。病院のスタッフさんたちも、ひとまずは一安心。

この後、ようやく建物の片づけにも取り掛かれるようになり、友人O氏を手伝って部屋の片づけを手伝う。倒れてしまった本棚やロッカーを立て直したり、床に散乱してしまった本や書類を整理したり、割れてしまった食器を片づけたり……。

後はまた明日にしようかと、この日は友人O氏宅で泊めてもらうことになり一緒に帰宅。幸い、友人宅もその家族もみんな無事だった。

この夜もたびたび余震があり、まだまだ予断を許さない状況だったが、この日の作業完了の安心感と、前日夜からの疲れもあってか、布団の中ですぐに眠りに落ちた。

そしてその夜。

4/16(土)01:25頃、マグニチュード7.3、このときは深度6強だと発表された地震が発生。

のちに、益城町や西原村では最大深度7であったと判明することになる、「本震」であった……。

第29話へ続きます

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